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新聞、雑誌の記事

 

以下はイタリアの雑誌「A sua immagine」2014年4月5日号No65に掲載されたシモーネについての記事を翻訳したものです。 ・勇気とともに、人のための仕事。

生まれつきの障害を持つシモーネは将来のためにやることに追われている。現在自分が開発した障害者のためのソフトを通して、自分と同じ状況の人を助ける仕事に力を注いでいる。 「皆が持つそれぞれの夢は叶えられる、それぞれのゴールに到達できる。大切 なのはできることを信じること。」シモーネ・ソリアの哲学はこんなふうに要約できる。モデナの情報エンジニア。先天性重度痙性四肢体麻痺を持つ。それにも 関わらず35歳で彼はほぼすべての自分の夢を実現した。大学を主席で卒業、満足できる仕事をし満足できる結婚をした。結婚の相手は2年前にミラノで知り 合った日本人の上野恵利。現在シモーネは彼の設立したコーペラティーボを通して、パーソナライズできる障害者のためのパソコンソフト障害者の元へ届ける仕 事をしている。 ・頭につける帽子形の補具の功績 シモーネは歩くことが出来ない。また腕と手のコントロールも出来ない。彼の 障害は彼が生まれた1979年2月24日から始まる。出産時の問題で脳性麻痺になった。当時、医者は数日しか生きれないと言った。しかしシモーネの驚くべ きがんばりからその日は過ぎ診断が偽りであることを証明した。 幼稚園のころから… とシモーネは語る。車椅子の生活を余儀なくされた。し かし同じ年の子と遊ぶことを放棄しなかった。いつでも他の人と一緒にいることと、出来る限り特別ではない状況を愛した。小学校が始まり、シモーネは 学校の障害児担当の先生に出会う。ある先生はとても輝かしく、よりよく勉強できるための状況を作り出すことを考え提案してくれた。ある先生はとても短絡し ていて浅見で、注意力を他人に持てない人だった。小学校4年生のとき保健所から初めてスキャン機能のついたパソコンを与えられた。このスキャン機能は一文 字一文字書くより、よりオートマチックに書けるように作られていて便利なものだ。しかし本当の人生の起点は翌年で、先生にキーボードを打つ長い棒のつい た頭にかぶる補助具を提案されたときだった。シモーネの父はこの人目をひく補具をつけることに困惑し、反対したがシモーネはこの新しい道具に熱狂し、夢中になった。そしてパソコンをたった一人でそれまでよりスピーディーに使えることに感謝した。この補具でエレクトーンも弾け、絵も描けるようになった。絵は同級生や先生か ら一目置かれるようなすばらしいものを制作した。

 

      ・失敗することをおそれなかった 節度のある知的な両親に感謝し、その後シモーネは学校だけでなく地元の教会 にも通い、同じ年の人との友好関係を広げていった。またチェスで遊ぶことにも情熱を捧げた。チェスでは満足できる結果を得た。モデナ県の16歳以下の学生の部でチャンピオンになりナショナルチャンピオンになった。「スポーツは重要だ。なぜならゴールのために戦うという気持ちを鍛えるから。傷付いて反 発してそして新しいよろこびに辿り着くから。これはすべての人に大切だけれど、特に体にハンディを持つ人にはより重要だ。」高校時代もシモーネはチェスをした。「高校時代は自分の人生で一番大切なとき」こう語る。何人かの同級生との固い絆、さらに自分を手伝ってくれる先生たちとの出会い。先生は自分のため に教室を改善してくれた。シモーネはひとりの生徒としてよくがんばった。授業のノートを友達に借り、家に帰ってから自分のパソコンの中のノートに書き写し た。シモーネにとってこの勉強方法は教科書を読むだけより、より効率的な勉強方法だった。大学に入ってからはもう少し大変だった。モデナの情報工科大学に進学した。大学では普通の学生でもおどろくような量を勉強する。それは彼にとってその2倍を意味する。夜遅くまで友達のノートをパソコンに書き写す作業はと ても疲れるものだった。しかしその努力は報われ結果は現れた。シモーネは最短の5年間で、そして満点で首席で卒業した。卒業証書をもらう日、本人にとってまた大学にとって忘れがたい日になった。その日は両親はすでにたくさんの人を招待していたが、その人たちに加えモデナの新聞に載った記事を見た小中高の先 生や、久しく会わなかった友達たちが祝福に訪れてくれた。たくさんのモデナの新聞が記事を書いた。そのうちのひとつの新聞の記事のタイトルは「この障害者は失敗することを恐れなかった」。   ・潜在能力はいつも軽視される 卒業の後のシモーネのコースは明らかだ。「他の障害者にもこの自分が用意したソフトで可能性を提供しよう」この目的のために、シモーネは友達のエマヌエレ・ペリーニと共に障害者と高齢者のためのソフトを開発販売する現在のコーペラティーバの前身となる会社を立ち上げた。 「仕事を始めて数ヶ月のうちにすでに…」とシモーネは嘆く。たくさんの障がい者が自分とは違う社会のストーリーの中にいることに気が付いた。多くの障がい者が彼らの可能性を生かすことを知らない人たちと一緒に生きている。重い障害を持つ子供が両親の考えとは逆に、アルファベットを学ぶことができたというケースを何回も発見した。シモーネは障害のある人にソフトを試してもらうとき、はじ めは簡単なことをしてもらい、少しづつ難しいことに挑戦してもらう。こうすることで水が容器の中でその形に沿うように、最もその人にあったアシストを見つけられる。仕事で障害のある人の家に入るときは、相手に不快感を与えないように気を使う。シモーネは語る。ソフトを使う人が、より勉強ができるように、仕事ができるように努力する。うまくいったときは苦労した分だけ自分を満足させてくれる。自分のこの小さな仕事は、学校や病院一部の考え方を変えていく。イタリア中を周って、障がい者に向けられる注意はある場所では大きく、ある場所では小さい。それは地理的な問題ではなく、個人的にその 人がどういう医者か、どういう指導員か、どういう先生か、という問題だということに気が付いた。シモーネは病院や学校は、障がい者の可能性についてあまり信じていないと考える。自分の体験からも可能性は、学校や病院からよりも家族や友達から与えられたことが多いと言える。 シモーネの苦境が過ぎ去ったと思えたとき、新たな災難が彼を襲った。 2007年に悪性リンパ種が判明した。幸いに化学療法で克服した。「自分の人生で一番難しい時だった。治療時の体の痛みと、克服できないかもしれないという怖さ。克服できたことを両親に、友達に、そして神様に感謝したい。」 ・他の人より価値の少ない人生は存在しない 病気を患い始めた頃、はっきりしたエピソードがある。「フォルミージネと フィオラーノ間を(二つの街ともモデナ県)聖地巡礼したとき、自分の教会の仲間は自分の病気を知っていた。教会は自分に数珠をプレゼントしてくれた。この 数珠は1986年にローマ法王ジョバンニ・パオロ2世がモデナを訪れたときに教会が受け取ったものだった。これは自分にとって明らかなメッセージだった。 まるでイエス・キリストに自分の肩を親しげにポンポンと叩かれた感じだった。 そしてもうひとつ大切なしるしは恵利が現れたことだ。恵利は日本人でシモー ネがミラノに出張に行ったときに知り合った。「2005年に日本へ行ったときに…」シモーネは語る。「日本人の障がい者に対してとても繊細なところに感動 した。そしてまた必ず日本に行きたいと思った。でもまさかこんな近くに日本人が来るとは思わなかった。」二人は2012年に結婚する。この結婚が他の障がいのある人に希望のメッセージとして届くことを二人は願っている。「イタリアでは愛はタブーを越えたのを見た?」 恵利の隣のシモーネは一人の幸せで満足した男だ。今日彼はいくつかの学校などで彼のストーリーを語る。「他の人より価値の少ない人生は存在しない。目的に辿り着かないようにできている人生はない。人は皆神様の綿密な計画で練られたそれぞれの役割を引き受けている。」 勇気と楽観主義と熱意。これらが彼の成功の基本にある。「もし自分たちだけで助け合ったら神様は残りを引き受けてくれるだろう」と微笑んだ。

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